大英博物館、オセアニア彫刻をポリネシアに返還──3年間
ヘンリー・ムーアやピカソも愛したアァがタヒチの美術館で公開された
マーチン・ベイリー
大英博物館は、世界で最も有名なオセアニア彫刻をタヒチの主要博物館に3年間貸し出すことになった。この彫刻は、タヒチの南600kmにある小さな島、ルルツの人々の祖先を神格化したもので、アァ(A’a)として知られている。
Te Fare Iamanaha – Museum of Tahiti and her Islands(Musée de Tahiti et des Iles)(タヒチと諸島の博物館)は、大規模な拡張工事を経て3月に再オープンした。フランス人建築家ピエール=ジャン・ピカールが設計した大きな展示室では、アァが主役の展示が行われている。博物館は、フランス領ポリネシアの首都パペーテから10km離れたプナアウイアにある。
サンダルウッドで彫られたアァは、高さ1.2mもある。人の形をした彫刻だが、最も珍しいのは、その表面から現れる30個の小さな置物である。背面には空洞があり、かつて人間の頭蓋骨を納めた聖遺物箱として使用されていたと思われる。
最近まで18世紀のものとされていたが、最新の研究により、1591年から1647年にかけてのものであることが判明し、ポリネシアの彫刻の中では現存する最古のものとなった。アァという名前の由来は、1821年にイギリスの宣教師ジョン・ウィリアムズが初めて使用したもので、いまだ不明な点が多い。
1821年、ルルツの首長たちがキリスト教に改宗し、その忠誠を示すために、ロンドン伝道会の拠点があるライアテア島にアァとその他の伝統的な宗教品を積んだ船を送ったのがきっかけだった。この頃のルルツは、ヨーロッパからの伝染病の持ち込みで人口が激減していたため、住民は数百人しかいなかった。
ウィリアムズは、ボートが到着した時のことを「勝利の戦利品、(キリスト教のための)この無血戦争で奪われた異教徒の神々」を満載していたと表現した。
それから2世紀が過ぎたが、アァがどのような経緯で手放されたのか、その所有権はどこにあるのかを正確に判断することは事実上不可能である。ルルツから持ち出されたのは、少数の島民による自主的なものであったようなので、ヨーロッパ人が直接略奪したわけではない。
ロンドン伝道会はアァをライアテア島から英国に運び、ロンドンの博物館に展示した。1890年に大英博物館に貸与され、1911年に所有権が移った。
しかし、残念ながら大英博物館には何十年も前からオセアニア展示室がなく、この重要な彫刻を適切な文脈で展示する場所がない。そのため、アァはロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの2018年のオセアニア展など、外部の展覧会に貸し出されている。
アァは、長い間、ヨーロッパの芸術家たちに大きなインスピレーションを与えてきた。ピカソは、1950年にサセックスを訪れたとき、イギリスのシュルレアリスム芸術家で収集家のローランド・ペンローズの家でこの彫刻の鋳型を目にし、すぐに自分のスタジオ用に複製を注文している。ヘンリー・ムーアは1920年代からアァを賞賛しており、1978年、彼の80歳の誕生日に大英博物館から鋳型が贈られた。現在も、ハートフォードシャーにあるムーアの旧宅ホグランズで展示されている。
大英博物館は、アァのほかにも5点の作品をTe Fare Iamanaha – Museum of Tahiti and her Islandsに貸与している。また、パリのケ・ブランリー=ジャック・シラク博物館とケンブリッジの考古学・人類学博物館も貸し出しを行っている。
人口2,400人の離島にはタヒチの博物館のような設備がないため、アァがルルツに戻ることはないであろう。しかし、ルルツの町役場には別の鋳型がある。
イーストアングリア大学のセインズベリーセンターで太平洋美術を専門とするスティーブン・フーパー氏は、アァを「人類最大の芸術作品の一つであり、18世紀的な意味での大きな希少性、驚き、好奇心を持つもの」と表現している。
British Museum returns Oceanic sculpture to Polynesia—for three years
(コメント)
- 材質について、大英博物館による2015年の鑑定結果のサンダルウッドを、ルルツ島の長老会議は拒否して、みずからの歴史にしたがいプアだと主張する。
- 「それから2世紀が過ぎたが、アァがどのような経緯で手放されたのか、その所有権はどこにあるのかを正確に判断することは事実上不可能である」と不可能を明言して、「ルルツから持ち出されたのは、少数の島民による自主的なものであったようなので、ヨーロッパ人が直接略奪したわけではない」と明言する詭弁。
- ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病で人口が激減した状況下、ヨーロッパ人が持ち込んだキリスト教に改宗した首長たちによる自発性とは何か、である。
- 「勝利の戦利品、(キリスト教のための)この無血戦争で奪われた異教徒の神々」。血を流さない間接略奪。
- 「人類最大の芸術作品の一つであり、18世紀的な意味での大きな希少性、驚き、好奇心を持つもの」であるならば、大英博物館に置かれなければならない理由はない。「大英博物館には何十年も前からオセアニア展示室がな」いことは「残念」ではなく、アァの置かれるべきルルツに博物館がないことが残念なのである。「人口2,400人の離島にはタヒチの博物館のような設備がないため、アァがルルツに戻ることはないであろう」と勝手に決めつけずに、設備を作ればよい。