総じて美術館の市場

「見る/見られる」は運動である。ふだん私たちは、この運動の一部を切りとり固定することを介して、運動の全体を理解しようとすることに慣れている。ここに「差別/差別反対」が生ずる。物象化、商品化、市場化──。惟うに、市場があったのだろう。フォーラムのような形で。⬇

1件のコメント

  1. これは、美術館女子/美術館女子反対、に関する感想です。

    きのう、次のツイートをしましたが、削除しました。再録しておきます。ツイートしたときに思っていたのはメディア論で、Instagramというメディアがあり、それに拘束された「インスタ映え」という範疇が特殊日本にあり、それゆえの「美術館女子」だったのではないか──。たとえば、讀賣新聞の形式(紙質、紙面構成、印刷技術等々)ではありえなかったのではないか、というあたりでした。(追記:SNSあっての某国大統領、ブログあってのただいまの内田某氏、のごとく。)

    いま、付け加えて言うことがあるとすれば、メディア論を抜きにした諸論に接するとき、問題は繰りかえされるであろうということでしょうか。

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    https://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2020/06/bijutsukanjoshi.html
    びれんきょー、よみうりはこーゆー企画をしてたの?らしいxx企画。インスタ映えとゆー範疇が成立してるのはどこのどーゆー国民度かはリサーチしてよいのではないかしら?あたしがインスタでフォローしている諸アーチストはほぼテキストとふつーのイメジよ。断罪も改善も。
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