Symbolic Analyst

「嘉田由紀子」なることがらと「情報」を考えていて、惟うところがあった。そして昨日、言い得て妙な言葉に遭遇する。「シンボリック・アナリスト」。印象の域は越えないものの、近いのである。

3件のコメント

  1. シンボリック・アナリスト, それからワンセンテンス・ポリティクス。
     どうしてそんなに白黒分かりやすいものがあふれているのでしょうか?本当にそんな方向性を皆のぞんでいるのでしょうか?
     JR東海としては、米原とともに関ヶ原の冬季悪天候時の待避駅としてきたいしていたのではないかという報道もあります。しかしJR東海は、カネを全額負担したくないのか、それとも地域の注視を卑近に現れる見かけの価値にそらすためだったのか、ともあれ誘致をあおることにし、一部はこれに乗った。
     「待避駅構想」が本当なら、その効果は公共の福祉に属するものであり、限られた地域にとって有益という主張は打ち出しにくい難点はどうしても残ります。しかし誘致など、地域に十中八九有益であるなどという保証などないことなんて、関東北に続々登場した新幹線の沿線の苦戦を見れば明らかです。それこそ、誘致の経済効果は制御困難な外部効果の好例といえるのです。
     ともあれ、先の報道は憶測のレベルですが。しかし県という行政府の立場にとってみれば公共の福祉をとるのが本分、と思うのは素人考えなのかもしれませんが、ただ冒頭のような卑近にあり顕著なものを嗜好する傾向に呑まれているというのなら、本分とは言わないまでもそういう選択とてあるのだと想定するには程遠い。やっぱり危惧を覚えます。
     ちなみに最近はトーンダウンしましたが、一時期、博物館界隈で集客という言葉が飛び交いましたがこれも同種の皮相なものを感じました。
     なお、ワンセンテンス・ポリティクスについては、姜尚中+テッサ・モーリス=スズキ『デモクラシーの冒険』集英社新書が、参考になるように思います。

  2. (遅くなりつつも)取り急ぎ、文末の参考図書のご教示、ありがとうございました。この本、手許にあるにはあるのですが、読んでいません。と言うか、開くページ開くページ、気色悪くてかなわない。改めて開いてみましたが、その度は増すばかり・・・。例えば「デモクラシーに「消費者」なぞ存在しない」という全き詭弁。ちゃあんと「デモクラシー」の生産者─生業者はいるわけですね。「環境」もそう。「環境」調べて、語って、収益上がる人と、決して上がらない人が歴として在る。ここにシンボリック・アナリストなるものを重ねてみてしまうわけです。

  3. 😆 😆 😆
    そ~ですか、そこですか。通りで触れがらないわけだ。

    デモクラシーに「消費者」なぞ存在しない

     確かにとんちんかんな部分ではあります。結局、ワン・ポリだのシン・アナだのという(略するに値するほど軽薄な)ものこそが、デモクラシーなる「権威」を消尽する態度なのかと。ある意味、小泉政権にみられるようなお祭り騒ぎの伴うあの表象こそが正にポトラッチ。そう、「ぶっ壊す」っていうのは、単に自民党をポトラッチしてより権威づけた、なんていわれてもおかしくないか、と。んな軽いことをいうやつはいないか 😉

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