四日市市立博物館特別展示「条件付き実施」批判

四日市市立博物館の特別展について、上のアナウンスがされていた。こうした措置は、新型コロナウイルスの盛んないま、同館に限らず各所でおこなわれていることであろう。しかしこれは、博物館のすることではない。

現在の例外状態で、博物館にできることは休館、閉館である。博物館の運営上の権限は、市民の権利を侵害することに向けられるのではなく、じしんにのみ向けられるべきである。休館、閉館が市民の権利侵害になるとしても、それは間接的であり、他者責任を導かず、博物館の自己責任においてまっとうしている点で、問題を最小限の範囲にとどめる。

新型コロナウイルスの問題で、博物館の運営が関与できるのは、ウイルスを拡散するかしないか、拡散して感染者を増やすことに寄与するか、拡散せずに感染者を増やさないことに寄与するかの、all or nothing(オール・オア・ナッシング)、全てか無か、である。その中間はない。ちなみに博物館の機能は、博物館資料の収集・保管、調査・研究、公開・教育にあり、一部の博物館をのぞき、新型コロナウイルスの問題に直接関与しない。責任はとれないのである。

そして、条件付きで特別展を実施することは、感染者拡大に寄与しなかったときにだけ、つまりその結果においてだけ、肯定的に評価される。ではそれは、絶対に可能だろうか。いまそのように予測できるのだろうか。あるいは、計測できるのだろうか。all or nothingとは、相対的なことがらではなく、絶対的なことがらである。そのどちらでもない、条件付きでの特別展実施は、ウイルス対策としては宙吊りに等しい。

博物館は、利用者に平等に開かれている。利用料ですら原則的に無料が定義されているのだが、私立博物館を考慮して例外規定があり、例外が例内になってしまっている。この流用、転用のため、利用料が負担できるか否かという経済的障壁があり、それに目をつむるつもりはないが、それ以外に障壁はない。そこに新型コロナウイルス危機を理由にしてさらに病者に対し障壁を設けるのは、博物館の理念に背く。

博物館の理念と現在の状況とは、調整されなければならない。そこでとられるべきは、「条件付き実施」ではなく、休館、閉館である。これが、公衆の衛生を守り、博物館の理念を守る、唯一の原則的で正しい選択である。

コンビナートを誘致して住民の健康を台無しにした四日市であった。歴史は繰りかえす、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、だっただろうか、ヘーゲル先生。

博物館は権力行政ではない。と高度に言う以前の、博物館に関するリテラシー(読み、書き、算盤能力)に障害があるのかもしれない。いつの日か論じることがあるだろうか。それはさておき、以下が、きょう連続してツイートした川柳、狂歌である。ろくな作品ではないが、ドキュメントとして──。

(朝日新聞・名古屋報道センターのツイート「#江戸時代 に流行した判じ絵を集めた展覧会」に接して)
人権に抵触させて開けるのか教育機関?政治機関? つるぢ
病者差別あえてしてまで博物館 つるぢ
公害の町はいまなお病者差別人権軽視 つるぢ
ミュージアム後進国にありふれた人権軽視の凡景愚景 つるぢ
来場の人に自粛を強いるとは博物館が自粛するべし つるぢ
〔添削例〕病者差別あえてしてまで展示かな つるぢ
人権はコロナの陰で棄てられる奇想天外病者差別 つるぢ
こうやって病者差別は生き続くアレと違うときっと言いつつ つるぢ
病者差別ばらまき人権啓発す自家中毒の最たるものかな つるぢ
〔添削例:自家撞着、自己矛盾〕
不要不急どこ吹く風の展示会愛知は遠し四日市かな つるぢ

(三重も独自「阻止宣言」 愛知などへ移動自粛を:日本経済新聞のニュースに接して)
展示会観にいきましょう愛知から つるぢ
熱が出る前に行きましょ展示会病者差別の博物館へ つるぢ
何を阻止するのかそこで博物館病者阻止して差別煽るか つるぢ

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