わが国の博物館にマネジメントの必要が喧伝されるようになって約20年になる。初期の理論的作業ののちのケーススタディは枚挙に暇がないが、その後も理論は生成され続けているのだろうか。この問いは、とりわけてマーケティング理論に対して発せられる。大衆の存在様式の変化に応じ、博物館のマーケティング理論は代謝しているか、と。
1970年代後半に伊藤寿朗が主張した地域志向型博物館すなわち地域博物館は、1960年代後半以降わが国に進行した大衆社会化と消費社会化を反映した博物館論であった。それがニーズ志向型かつシーズ志向型であったことを顧みれば、すぐれてマーケティングの理論だったことに気づく。
この地域博物館論に第三世代の博物館論を動員した『ひらけ、博物館』、つぎに企業博物館論、そしてミュージアム・マネジメントという、1990年代前半に継起した三者は、博物館外的な大衆社会化と消費社会化を内面化して生成した。「20世紀日本の博物館に関する研究」で書いたように、「博物館法的な戦後了解の崩壊という意味において、まったく軸を一つにする事態であった」(125頁)のだ。