ウイルタ!!(続)

以前公開されていた、北方少数民族資料館ジャッカドフニのホームページの、2002年6月2日の日記に、

ウイルタのおばあさんがお亡くなりになりました。「ウイルタがなくなってしまう・・・」と館長は嗚咽されました。資料館を開館しながら途方に暮れます。例えば,知識人の人たちの北方少数民族に関する言説は,この現実にいったい何をもたらすというのでしょう。・・・心からご冥福をお祈りします。

とありました。
この「ウイルタのおばあさん」とは、北川アイ子さんのお姉さんのことでした。このとき「「ウイルタがなくなってしまう・・・」と」「嗚咽され」た館長、つまりアイ子さんが16日にお亡くなりになったのです。18日の告別式の弔辞は、「アイ子さんのいない網走はさみしい」でした。もはや、そのようにしか言えないのでしょう。よくわかりました。
アイ子さんがそうしたように、「ウイルタがなくなってしまう・・・」と他意なく(絶対的に)言える人はいなくなったのだと、不意に思い至ります。この意味で、「ウイルタがなくなってしま」った、とも。

3件のコメント

  1.  アイ子さんが姉を悼むそれと、アイ子さんを悼む次代のそれが共にあるためには、もはや、同じ土を介する以外にない、ということなのでしょうか。
     もっとも、より外部にある私めのコメントなんぞ、どうしたためてみても、軽薄な気がしてしまうのが、なんとも苦々しい。 🙁

  2. polieco_archeさん、ありがとうございました。Hatenaの方も拝見しています。このこと、私の説明が不足していますが、そういう問題ではなく、不足していても本質直感は可能だということを再確認しつつ、どう展開すべきかと、沈思黙考しています。いずれまた。

    ところで、下記のような記事がありました。備忘録のために貼り付けておきます。なぜこうも勇ましく書けるのでしょう。特に文中引用の「*************」。決して、「**********」わけでも、「*********」が「*」ったわけでもないのに。あの、お姉さんよりも小さな、私が参列したもっとも小さな葬儀の主をこのように言えるのには、観念のテロル以外にない。しかも、このように言ってしまったら、(いまはないかもしれない)第二・第三のゲンダーヌの登場を抑圧することにもなるでしょう。そう規定するのはやっぱり日本人だということが示されているわけで、ここにも、石森延男「咲きだす少年群」に似た私たちの構造が表出していると思うのです。

    (omission)

  3.  悼むというのは、本来、個人に向けられているのであって、地域という無生物や、世代、あるいは民族という不特定名にむけられているのではないのは勿論なわけです。それゆえ、世代間倫理と発語してみたとき、何かその態度が希釈されていることを思い、言いよどむような筆となってしまったいました。
     『ゲンダーヌ』を読んだ人たちは、気付くことでしょうが、著わした立場は、民族を意識していたものの、ゲンダーヌさんが著者を通して示したものは、彼自身がどう生きてきたか、彼の家族がどう生きたのかで多くが占められていたわけです。poliは、このことを忘れておりました。

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