大出尚子批判

大出尚子という人が藤山一雄と満洲国の民俗博物館と私にまで触れて、書いたり発表したりしている模様。ネット上で本人によると思しき要旨に接することができたので、別のサイトに批判を書き付けたところ。が、このサイトは閉鎖系なのでメンバー以外はアクセス不可。メンバーも限定的。乞うご容赦。いずれ全面展開するものの、そこにあったのは、多分私の全著作を読んでいないことによるであろう誤読と曲解(読んでいたなら「眼光紙背に徹すべし」の類)、あと廣松渉言うところの「クソ実証主義」信仰もどき。総じて不毛、廃墟。なぜかこういう手合いが多い。こんな研究しか後続しなかったのかと瞬時反省。取り急ぎ。――「先生! こういうのはどうしたらよいのでしょう?」

1件のコメント

  1. 偶然休暇をとっていて、このarticleに接した、poli@自宅です。クソ実証主義以前に、単なるヲタの咆哮ですね。  fischeさんの著作に目を通した形跡がないということは、結局、新情報の追加にもなっていないということですね。それで「違うよ、知らないかね~、こういうのもあるんだって浅いね~」みたいな。品のない。というか品がなくてもいいですけど、ちっとも建設的でない。そもそも、認識の背景にある情報の乏しさをあげつらってこれをさも視点の相違とでもうそぶいて、エセな独自性を主張するかようなレトリックは非建設的ながら巷に溢れかえっていて、うんざりです。みんなpoliみたいに評価すべきことは、コテこけば楽だろにと思うのですが。いいすぎか、これは。

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