失望の旭山(2)

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急ぎ「失望の旭山」を書き付けた後、8月3日付で「旭山のトリック」と題して「「失望の旭山」の所以を考える。これを動物園の近代(史)に置いてみると、・・・」とポストしたが、削除した。『「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト』(角川新書)と『戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語』(中公新書)の2冊を通覧し、一昨日ふたたび旭山にゆき、ここにこの批判は無意味であることを知るにいたったため。両書の年表に、書かれるべき事実が書かれていないのはいつもの約束事。
改めて、「失望の旭山」の所以を考える。キイワードは、論理矛盾と実体主義、か。

2件のコメント

  1. しばし、一人炎上にかかりきりで、ROMを怠っておりました。そうしたなかで、過日コメントを差し上げた廣瀬さんの著作がつい口にでてしまいました。あのようなモノと対峙すること、おしつけでもなく、穏やかで細やかな態度によりかかりたくなりました。
     植物園博物館、家庭学校博物館、そして再びの旭山動物園の話題。このfischeさんの博物館めぐりに去来するものの一つとして、先の廣瀬さんのテキストがあるのかな、と「邪推」していしまいました。(というか、『博物館の図書室』司書日誌とともにはいどくさせていただいていて、はっとしたわけですが)

  2. どうも、です。決してそういうわけではなくて、偶々です。そうなってしまうのでしょう。実は、小川徹太郎『越境と抵抗』なんかも、この(博物館)めぐりの途中に挟まっていたりします。詳しくはいずれまた。

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