ウイルタ文様の受難


ポスターの両側の図柄はウイルタ文様である。アイヌ文様ではない。「アイヌ文化の世界」のイラストレーションにウイルタ文様が用いられる摩訶不思議。ウイルタ文様はアイヌ文化か?アイヌ文化はウイルタ文様で表象される文化か?(アイヌを知っていてもウイルタを知らない人はちゃんと勉強しましょう。願わくばネットの外で。)

ウイルタ文様を主題にするとき、いくつかの収奪事例を想い起こす(年紀はだいたい)。

  1. テッサ・モーリス・鈴木『辺境から眺める』のみすず書房(2001年)。
  2. 「アイヌからのメッセージ」展の吉田憲司(2003年)📄
  3. 官房長官菅義偉のマスクの文様(2020年)。

概して言えば、1は知的権力、2・3は国家権力、今回は地方社会教育行政権力。ウイルタ文様は、いつも権力と権力を内面化した勢力に収奪されてきた。

今回のようなケースは、植民地北海道では日常茶飯事であろう。ウィルタ協会が機能停止したかのごとき昨今ではなおさらである。日常の些細なことがらが、みすず書房や吉田憲司、菅某など諸権力の事例を下支えしていることは覚えておいてよい。

二度あることは三度ある、ではなく百万回あるだろう。みすず書房や吉田憲司、菅某など諸権力の存在がそれを保障している。ウイルタ文様は政治・経済・文化的に収奪される。何に?誰に?──日本に。日本のお人に。行文上それは、みすず書房や吉田憲司、菅某と、それらが愛でる人たち、である。

ジャッカ・ドフニは生きている。

*7/11改題、改稿。

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