「のるりすとの13年」

笹倉いる美「のるりすと 2005―北方研究データベース― 付:のるりすとの13年」『北海道北方民族博物館研究紀要』第15号、北海道立北方民族博物館、2006年3月、109-120頁を読む。「のるりすと」は北方を対象にする研究者のその年々の業績一覧で、それ自体は単調なリストだが、ここで取り上げるのは「付:のるりすとの13年」。

13年間の「中間報告」とは常ならぬこと。「当館の体制が変わることから」の「中間報告」という。すなわち「平成18年度から北方民族博物館には指定管理者制度が導入される予定」を前にしたそれである。果たして4月から同館は指定管理者の運営となったわけだが、著者が指摘するように斯界ではこの制度導入にともなう「危惧」が語られている。しかしそのほとんどは愚痴やぼやき、これに決意表明が短絡するという怠惰。その裏では、様々な駆け引きがおこなわれているのであろう。疎開のような事態も想像に難くない。かくして来るシステムも去りゆくシステムも含めトータルに不透明な中、この付記はこの不透明にピンを刺し、まずはその不透明さを顕在させていると言える。

同館の「地域」は「北方」である。およそ人口に膾炙しているとは言えない「地域」である。そして、それぞれの研究業績に価値があるかどうかなど不明なわけだが、流通することによってその業績に価値が将来することはあり得、「のるりすと」によって同館が「北方」の流通を促進する役割を果たしてきたことは評価されてよい。そして、このことへの止目は針小棒大でない。

例えば「地域」を標榜する博物館が、自らの地域の研究(いわゆる明治・大正的郷土研究も含めた)業績を流通させるような役割を果たしたことがあっただろうか。せいぜい差別選別のうえ自館の展示や研究紀要に囲い込むか、友の会やボランティア、共同研究員に囲い込むかして、自館の社会的流通を促進する(自館の為にする)というのが関の山である。その点同館は、「のるりすと」のほかにも研究紀要の誌面を外部研究者の発表の場として提供したり、外部への展示空間の提供(貸し会場的にではない)等をおこなうなど、自らの拠って立つ「北方」のためにその資源を提供してきた経緯をもつ。もちろん、中生勝美「サハリン先住民の民族誌再検討:オタスの杜の戦前・戦後」というトンデモをスルーするというご愛敬では済まされない「北方研究の偉大なる汚点」もあり、危うさはつきまとう。それは、平塚市博物館学芸員の業績にかかる訴訟問題にも通じ合う。が、そうした危うさはいずれ淘汰されることを期待するしかないのである。もちろん、次なる指定管理者制度でトンデモ・スルーが無くなるとは思えず(トンデモ殿堂として博物館が大転換することはあり得る。衛生展示が秘宝館へと移ろったように)、ここでの「いずれ」とはずっとずうっと未来のことを言う。

漏れ聞くところによれば同館の人たちは、指定管理者制度導入に際してよく闘い、多くの支援も得て一定の成果をおさめることができたという。愚痴・ぼやき・あきらめ、それらとパラレルな、希望なきものに与えられる希望を語る暇などなかったに違いない。そうした情景がこの付記に垣間見える。いわば同館13年間の黙示録である。

ところで「のるりすと」には予定された「北方」の定義がなく、研究業績の現実の中に「北方」を見出すというそれ自身がエスノグラフィーだったようだ。それによると「北方」の南端は「奥飛騨」とのこと。当該論文にあたっておらず、また付記の「奥飛騨」規定も不明だが、これはもう両面宿儺ではないか。しかも武振熊命は両面宿儺を「北」に追跡していた。とてもじゃないが、三内丸山遺跡など日本ではあり得ない。

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