ブルーライト・ヨコハマ

神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」、実験展示班公開研究会「学芸員の専門性をめぐって」、第2回「今後の博物館活動と博物館学の方向性」に参加する。いろいろ思う。
まず、指定管理者制度ブームは、先頭集団で息絶えた模様。長崎、天下の乃村工藝社のそれ、凡庸のひとこと。聊か失望。世態次第にすべての博物館の完全民営化(ヒルマン的?)に進み行くのであろうが、そこはそれ日本のこと、微温的にぐずぐずしている。四の五の言わず、乃村工藝社などは、日本に冠たる、アジアに冠たる、世界に冠たる「アッパレ・ニッポン・ミュージアム」でも作り経営してみて欲しい。1年契約なんてドけちなこともやめ、優秀な専門家を定着させなくては。ノウハウはあるでしょう、お金もあるでしょう。パラサイトの発想はやめて、独行や大学等法人の博物館(格差の上位の大手の意ね)をどんどん吸収、サテライト化すればよい。諸条件よくして格づけもよくすれば、みんな流れる。格差社会なのだから。
次、「昭和ノスタルジー」の「懐かしい」。偶々植木等が亡くなって思い出したが、裕仁崩御のときマスコミで流された総中流のことば。ひいては成婚、生誕に寄せられた総中流のことば。みな同類。対象に託した「自分へのご褒美、ねぎらい、なぐさめ…」。まずは、わが「インターラクティヴ・ミスコミュニケーション」から。そして、フィルタリング(PICSならぬP”M”CS)。「記憶」の前提に横たわっているそれ。
次、「国民の教育、学術及び文化の発展に寄与する」こと崩壊しつつある21世紀。さらに、実証の要あり。とりわけ1990年代。あの10年が前線通過だった。ここを解析すれば解ける。わが、伊藤、鶴田、廣瀬の逝った1990年代。最後に赤松。奇人・変人なきフラットな世紀の予兆。
それにしても、1Fは正しくマック・ジョブ、3・4Fが管理職・専門職という「格差ビル」(しかし安普請)に一瞬たじろいだ。が、ちょっと考えれば感傷の類。かの天王寺の美術館といま言うホームレスの光景は公園内格差であり、博物館のビルが20世紀の国境だった。そして、B2F委託、B1F事務、4F学芸というビルのあったことを思い出す。総中流のアクセスは、1F、2F、3F、B1Fの一部。感じてはいたが、「格差」とは言わなかった。「国民の教育、学術及び文化の発展に寄与する」があったからだろう。

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